俺は毎日夢を歩いている。かつては忙しく戦士のようでもあり、身代わりのような日々を過ごしていたが、今はそんな必要がなくなって、この狭いようで伸び伸びした世界を歩いている。
 最初は少し寂しかった。必要ではないと言われたときは。でも俺が消えるわけではなかったし、単に別荘を用意された気分だった。
 この「俺」という一人称には違和感がある。だけどこれは俺が生まれた時の名残なんだという。誰かが言っていたんじゃないが、そうなんだという。
 毎日ただ歩いている。正直退屈だ。だけど悪くはない。あいつの言っていた「退屈こそ幸せ」という言葉は、俺にも通ずるらしい。無風で暑さ寒さもない、ただ快適なだけの黒い空の下。いろんなものに出会う。誰が引いたかもわからない道、何の脈絡もなく立つ木、地平線だって見えてしまう。なによりこの静けさ。快感にも似た楽しさがある。

 歩いてると空を見上げることが多いのだが、時々人に会う。なに考えてるんだかわからないやつらばかりだ。遠くをぼんやりなに見てるのかわからないやつとか、不貞腐れてるように座ってるやつとか、ニコニコしっぱなしのやつとか。俺以外のやつはなにを考えてここにいるんだろう、どうやって生まれてきたんだろう。考えたりもしたが、本当はどうでもいいから5秒でやめる。

 その時の俺は何も考えることはなかった。ただただ許してきた。盲目的にただ逃げ場の役目を享受し、一芸の褒美に食べる餌のように嬉しさを分かち合った。それだけが自分の価値なんて思いたくなかった。それでも俺は俺だった。どこまでも行動を許し、甘えを庇い、ただ助けたつもりでいた。
そして俺は俺になった。
 あの日、あいつの覚悟を見て、本当に嬉しかった。初めておこぼれの嬉しさじゃなくて、自分の底から込み上げてくるものだと感じた。
 死ぬほど苦労してる姿を眺めてる。もう戻れないことを知ってる。でももしかしていつかまた助けを求められるかもしれない。その時はまた許そうと思う。同じ顔で、同じ声を。

 夢から目を醒ますと、昨日より疲れた下半身が、頭上に駄々をこねる。最近はそれに逆らえないまんま。これも全部病気のせいにして、いいわけなんかない。その時あいつを思い出す。思い出して、歯磨きをして、うがいをして、起きて初めの分裂病に効く緑茶を飲む。あいつを飲み込む。
 たまに、また俺はあいつのいる黒の中天から降るように目をつむって落ちていく。そして透明で宙に浮かぶ俺はあいつを眺めるだけだ。
 そこにいる。でもいらない。 そこにいる。だけど必要な俺。
 俺が俺になった理由。俺が俺を求めた理由。俺が俺であった証拠。
 助けてくれてありがとう、そう言って抱きしめて赤子より幼い俺は眠る。