訃報が聞きたい

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理解してもらわなくていいし非難されるかもしれないけど


家族よりも身近な人
顔も知らないけど自分をたぶん一番出せてる場所で
そこにいる人が死んだとしたら
みんな悲しむんだろうか

死んでほしくないとか
幸せになってほしいとか
そう言う人がいるTwitterだから
きっと悲しむのかな


でもわたしはなんだかよくわからないけど
訃報聞いたら少し前向きになれる気がするの
背中を押してもらえるような気がする

だからって死ねって言ってるわけじゃないよ

なんかそんな気がしただけ



命の価値ってよくわからないよ

「その人に生きてほしい」
と俺も言うことはある
けどそれは正確には
「好き勝手生きたらいいんじゃない」
「今より良くなって楽しくなったらいいね」
という気持ちで言ってるのであって
別に長生きしてほしいわけじゃない
亡くなったところでその人のことを知れるわけでもないし
生きていたところでその人にお会いすることが無い
現行ただの文字列として存在している人間を人間と認識してない


そもそも他人の生死、人生にあまり興味がない
死んでほしくないという人がいたとして
それは死んでほしくないんじゃなくて
自分の感情の行き場を失くさないでほしいということなんだ


そして誰かの訃報で新たな気持ちが生まれるかもしれない
それを前向きに働かせれるかもしれない
確証はもちろん無いし試そうとも思わないけど
なんとなくそんなことを考えたわけです

皆さんは本当に他人の幸福や延命を望んでいるんですか?
それが利己的かどうかはまた別の話だけど
他人の生命に対してそこまで真面目に考えるのがよくわからない

恋人が自殺するって飛び降りようとしていたのを俺は座って見ていたことがある
それくらい他人の生き死にに本気になれない
大切にしなきゃいけないのを演じてるみたいだ

いや逆に興味があるのかもしれないね



どこまでが本気かはわからないけど
どうせインターネットでは
当人の訃報もアカウントの凍結も
等しくモニターの平面上だよ

それなのに画面の向こうの向こうにいる誰かの延命を願うなんて
立派な心の持ち主ですね

俺にはビルの端に立ったその人の背中を押してあげることしかできないのに
どんなことを言っても中身が薄くて建前でしか話せない
だって死ぬのを止める理由がわからないんだもの
許すことなんて誰でも出来る


他人の生命も自動ツイートしかしなくなったアカウントも
等しく文字列だけの活動
そうとしか思えないのは酷いことなんだろうか
責められることなんだろうか






まぁ仮に酷くて生きてる価値ないと言われたとしても
そんなモニターの存在から説かれたところで説得力に欠けるな
言われても知らん
そんなもんどうやって直せって言うんだ

生きたくて尊ぶような立派な世界を見せてください善人様