ひねくれ



キャスをやると悲しくなるってこの前書いたけど
他の人のキャスを聞いてて思ったことがある


自分は他人のキャスを嫌々とか気遣いで聞きに行ったりはしなくて嫌だったら行かない


だからなんだって話だけど
まぁなんていうのか
単なる気遣いで聞きに行ってるとかそう思われるのは嫌ね

同時に自分はそう思いながらキャスをやってるのね




見に行ったときとかあんまりコメントしないけどさ
その人と仲良くなりたいなと思ってるわけよ
それを逆に考えたときに
それで自分の立場のときに
無性に悲しくなるんだろうなーとか


自分の価値を低く感じるのと同時に
他人の意識や言動を信用してないのよね
信用って言うのも好きじゃないんだけど



いつも誰かのキャス見たいって言ってるのは
遠回しに仲良くなりたいって言ってるわたし
メンヘラたのしい







わたしの書く文字なんて蜘蛛の巣に残った死骸の滓
みたいに思うことがよくある
それは大好きな音楽を聴いてるとき
この素晴らしい芸術を感じてしまえば
自分の書く文章なんて必要ないと考える
わたしのブログを読むくらいならこの曲を聴いてくれれば言いたいこと全部言ってくれてる

言わばわたしは誰かが落としたパンの粉を啄んでる鳩
いやそれ未満
その鳩のおこぼれを貰おうとする害虫並
鳩が死ねばその死骸をも喰らわんとする蛆の一つ
そして結局は腹を満たせずに終わる

たまにわたしの為に食べ物を落とす奴がいる
純心に虫に餌を運ばせる観仏のような感じなんだろう
そんな時にいつも思ってしまう
わたしなんかよりわたしの糧になる人に分けてくれ
憐れみなんてうんざりだ
それができるのは自分が上だと認識しているからだ

わたしはそれを『ひねくれ』だと思わない
事実だと思うんだ



でもその慰めに有り難がってしまうんだ
その為に形にしないとって思ってしまうんだ

愚かしくて
情けないけど
それも純然に自分の為


なんかさ
さみしいよ



自立ってなんだ