異物感




 多分、これは私だけじゃなくて、みんなもそうだと思うんだけど、『あの時の私の言ってたことはなんか幼かったな』って、数年前のこと省みたりする。自分の言葉だけじゃなくて、同じクラスメイトのあの子とか、嫌なやつとか、他人の言葉に対しても、きっと黒歴史になってるんじゃないかって思うんだ。
 だけど、年を取って、自分の幼い言葉を悪いことじゃないって、思い込むような方法を手に入れちゃう。私も、きっと先生たちも。そうしなきゃつらいんだと思う。私も、先生たちも。
 今もそう。本当は言いたいことあるのに、言ったら後悔する気がしてる。

 たとえば、毎日夜に飲まなきゃいけないって言われてる薬、絶対飲まなきゃいけないんだけど、本当は飲みたくない。ちっちゃい頃は苦いのを無理矢理飲まされてて、そのたび私は泣いてたけど、今は大きいカプセルで飲んでる。大きくて飲み込んでもいつも喉とかにずっと何かがある気がする。いくつになっても慣れない。なんの薬か知らない。でも毎月お母さんが私に渡してくれる。説明書とかも見たことない。なんか聞いたら怒られる気がするから。水色の粉のはずだけど、スマホで調べてもわからなかった。でも飲まなきゃいけないものって言われてる。
 小さい頃お母さんが飲ませ忘れて、私も苦いからラッキーって思ってたんだけど、寝るとき電気を消す前くらい。家の時計の針が動く音が大きく聞こえてきて、お母さんの声が聞こえなくなってきて、電気が消えて、次に明るくなったときには、私は病院のベッドにいた。お母さんは小さい私でもわかるくらい疲れきった顔で、起きた私を見てすぐにうなだれてた。それ見て、悪いことなんだなって気がした。私も死にたくないしその日から絶対飲むようにした。修学旅行で夜遊んでたら荷物没収されたけど、どうしても飲まなきゃいけない薬があるってがんばって先生を説得して飲んだこともある。なんでこんなことしなきゃ、って思ったけど。あと、私が死んでもこんなもんなんだ、って思った。
 薬の話になってた。でもつまり、私っていつも顔色窺ってるなってこと。
 薬やめたいな。やめたらどうなるんだろ。


 中学二年の春になった。クラス替えした教室は、あいうえお順で席が決められて私右端。窓ガラスの横だから廊下のうるさい声がやたら聞こえる。


 ・・・・・・・。


 ごめん。もう正直こんな話、いいんだよね。
 だって、私が話したいのは薬の話だから。わかるよね。薬飲まなかったらどうなるんだろ。それがずっと気になってた。前は寝ちゃったから今度は寝ないようにする。大きくなったし大丈夫だと思うし。
 今は私の部屋があって、私はいつも決まった時間に飲んでる。お母さんが一応声はかけてくれる。

 土曜だし今夜に決行しようと思う。昼にたくさん寝たから、全然眠くない。
 いつもの時間、9時半にお母さんが「薬飲んでね」って部屋を開けて扉の外から声をかけた。いつも通り雑に返事した。もう私悪いことしたね。

 11時にはいつも寝る準備を済ますようにしてる。今日は冷蔵庫の麦茶を水筒に入れなきゃいけないから少し早めにやった。
 それで今11時。いつもこの時間には寝てる。だからここから先はわかんない。勉強机に座って、怪しまれないように部屋の電気は消して蛍光灯をつけた。時計をじっと見つめる。その直後、11時が1分過ぎた。
 コッ
 針が動く音が聞こえた。1分がやたら長く感じる。でもこれはいつも通りの音、いつもより大きくないと思う。また1分過ぎた。
 コッ
 同じ、な気がする。別にどうってことはない。私が大きくなったからかな。もう薬必要ないんじゃないかな。
 コッ
 もう3分。大丈夫そうだね。なんか拍子抜けした。でも一応5分までは待とうと思う。
 コッ
 4分だ。なんか自分は特別なんだって思ってた。そんなわけないよね。夢だったんだね。
 カチンッ…
 長針が1を差す音が、誰もいない体育館で思いっきり弾ませたバスケットボールみたいに響いた。



 ここは、どこ。
 夜空だ。
 私は誰。
 私は、人?鳥?
 気づいたら、星がいつもより多く見えて、それでも届かないことわかった。
 落ちてるの?飛んでるの?それもわかんない。
 私の家は見えない。でもそんなこといいや。
 赤と白のピカピカしてる塔がよく見える。いつもよりたくさん。
 雨、じゃなくて、私泣いてる。なんで。でも雨降ってなくてよかった。

 よかった。
 よかった。
 私、


 気づいたら、いつもよりも人がたくさん見えて、お母さんも先生も、本当に笑ってなんかいなくて、私が楽しいって思いたくて。

 桜の枝に髪の毛が引っかかった日も、セミが目の前を飛んでいってシリモチついた日も、季節の変わり目に喘息起こして寝られなかった日も、雪玉転がしてたら大きくなりすぎて道路の真ん中で運べなくなった日も。なにも言えなかったな。なにか後悔するんじゃないかって、黙っちゃってた。
 薬を飲んだ時の、喉に詰まる感じよりずっと、私がいて、誰かがいて、それがずっと、なんか、つっかえてたんだ。ずっと。
 みんなは私にとっての薬みたい。ううん、私が邪魔なんだってね。みんなにとって。


 よかった。
 私、違った。
 それに、もう何にもない、ところに、いるんだ。いけるんだ。
 お母さん、先生。ごめんなさい。ありがとう。
 さよなら。


 目を閉じたら、まぶたの裏が回転したみたいな感じで、台風の日みたいな風の音が一瞬聞こえて、
 私は、病院のベッドにいた。




 中学二年の春になった。
 私はもう一回二年生をやることになった。
 お母さんは薬を飲まなかったこと、なにも言わなかった。昔はわからなかったから言わなかったけど、あの後どうなったのか聞かせてもらえた。けど、長くて忘れちゃった。
 私はみんなと違う。それだけわかってればいいの。薬を飲まなかったら病院に来るんだなってわかってればいいの。
 私もなにも言わなかった。怒られる気がするから。それにバカにされたくないから。幼い夢だって言われる気がするから。


 あと将来の夢ができた。だから私は死にたくないよ。
 相変わらず私は『異物』かもしれないけど、それでもいいよ。私はもう、何にもないとこにいけるんだから。